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通訳者として、スポーツ業界に携わりたいとお考えでしょうか?
どんなに語学力があっても、スポーツ業界で活躍する機会にはなかなか恵まれないものです。この分野で活躍している通訳者は、全体でみればほんの一握り。
しかし、諦めずに目標に向かえば必ず道は開けてきます。
本記事では、アスリート達を言語の面からサポートするスポーツ通訳士になるための方法、必要なスキル、仕事内容についてまとめています。
記事の目次
スポーツ通訳とは?
スポーツ通訳とは、日本のプロリーグで活躍する外国人監督や選手等の通訳、または世界を舞台に活躍する日本人監督や選手等の通訳をおこなう仕事です。
通訳をおこなう場面は、練習や試合以外にもインタビューや記者会見、テレビ出演、書類の翻訳など幅広いのが特徴です。
通訳の手法
◎練習・試合中
練習や試合中に監督から選手に指示を送る際は、できるだけ短時間で必要な情報を伝える必要があります。そのため、話し手が話すのとほぼ同時に訳す「同時通訳」がよく使われます。
種目によっては、訳す内容を考えているうちに戦況が変わってしまった…なんてこともあり得るので、通訳にも瞬発力が求められます。また、監督や選手がテレビ中継の解説者として呼ばれた場合なども、同時通訳で対応することが多いです。
◎インタビュー
試合後のインタビューでは、インタビュアーの発言は監督の耳元でささやくように同時通訳する「ウィスパリング」、監督の発言は適度に区切りながら(30秒〜1分程度)その都度訳す「逐次通訳」がよく使われます。
ただし、スポーツ通訳の場合、一般的な通訳訓練を受けた経験者は少なく、それよりも留学経験のある元選手や指導者がなるケースが多いです。そのため、会議通訳などで基本とされるメモ取り(ノートテイキング)や同時通訳(リアルタイムで訳す技術)は、仕事をしていくうちに独学で身につけていく人が大半になります。
また監督の話に集中して耳を傾け、そのストーリーを組み立てることに力を注ぐため、メモを取らない人も多いです。これは競技について熟知しており、日頃から監督と多くの時間を共有し、意思疎通ができているからこそ細かくメモを取る必要がないともいえます。
スポーツ通訳は、業界全体からみれば特殊な分野です。スポーツ業界だけで通用する通訳ではなく、幅広い分野で通用する能力を身につけたいという方は、技能研修などに参加して基本だけでも学んでおくとよいでしょう。
著名なスポーツ通訳士
矢野大輔氏
2010〜2014年までサッカー日本代表監督を務めた、イタリア人の「アルベルト・ザッケローニ氏」。彼の通訳を担当し、チームを影ながら支えていた矢野大輔氏の活躍をメディアを通して目にした方も多いのではないでしょうか。
当時の矢野氏の生活は、「監督を中心に回っていた」といっても過言ではありません。ほぼ毎日行動をともにし、ときには一緒に食事をしながら、次の対戦相手や過去の試合を振り返り意見を交わすこともあったそう。
そして、必ず練習が始まる前に、その日のメニューやねらいを監督に尋ねていたと言います。そうすることで、選手やコーチ陣に練習内容を伝える際も、監督の意図を理解したうえで訳出ができるようになります。
アレン・ターナー氏
2000年にメジャーリーグ、シアトル・マリナーズでプレイするために渡米した、「イチロー選手」。アメリカ生活も長く、”ほぼ完璧な英語を話す”と評価されているイチロー選手ですが、記者会見を行うときは必ず通訳士・アレン・ターナー氏を通しています。その裏には「細かなニュアンスや言い回しを正確に発信したい」という想いがあるようです。
日本語を話せない外国人選手にとって、または外国語を話せない日本人選手にとって、厳しいスポーツ界で成功するために優秀な通訳士の存在は不可欠ともいえます。
仕事の一日の流れとスケジュール
実際の現場では、どのような流れで仕事をしているのでしょうか。ここでは Jリーグで活躍する”サッカー通訳士”の1日の流れを紹介します。
AM11:00〜 打ち合わせ・デスクワーク
外国人選手に渡す書類の翻訳をしたり、トレーナーに選手の状態を伝えたりします。
PM1:30〜 練習前
練習前に、グランドの脇で選手と談笑。世間話で盛り上がることもありますが、それ以上に選手のコンディションをしっかり確認しなければいけません。監督やコーチ、トレーナーにいつ聞かれても答えられるように把握しておくことが大切です。
PM2:00〜 練習スタート
最初に全員で集まり、その日のトレーニングメニューを発表します。練習前なので、そこまで話が長くなることはないですが、監督の話を聞きながら内容を選手に伝えていきます。
会議通訳などの一般通訳と異なるのは、”一言一句”すべてを正確に訳さない点です。伝えるべきことを選びながら訳していきます。
たとえば、監督が外国人プレイヤー個人に対して伝えること、チーム全体への伝達事項はもれなく通訳します。しかし、ほかの選手に対してのアドバイスなどは省略することも多いです。重要度を見極め、瞬時に判断しながら通訳をしていきます。
基本的に練習中は、選手に”声が届く範囲”にいるようにします。そして監督やコーチから指示があったときは、その場ですぐに通訳して伝えます。
PM3:00〜 ゲーム形式の練習(前半)
全員で集まり輪になって、監督の指示を受けます。「相手のDFがこんな動きをしてくるから、こっちはこんな動きで対応して…」といったような戦術的な内容も多く、それを訳す通訳士も競技経験者でないと務まらないでしょう。
ゲーム中は、ベンチから大声で監督の指示を伝えます。「監督の意図はどこにあるのか?」「なぜ、その指示をこのタイミングで出すのか?」といった、試合の戦況や背景を理解していないと適切な言葉もでてきません。
また試合の状況は一瞬一瞬、変化します。そして監督の指示は、突発的なものが多いです。「あと2メートル、ボールにプレッシャーをかけろ!」と監督が声を飛ばせば、同じタイミングで声を張り上げます。
こういったシーンでは、通訳が遅れてしまうと意味がありません。通訳士も全神経を集中させて試合に臨みます。また、指示以外の「ナイスプレイ!」といった激励の声も積極的にかけていきます。
PM3:30〜 ハーフタイム
ハーフタイムには、再び監督・コーチ・選手等が集合します。試合の状況によっては、監督の口調が強くなり激が飛ぶ場面もあります。怒ると早口になる監督もいるので、耳を凝らして大事な部分を聞き逃さないように集中します。
また、監督の語り口調や表情をみながら「怒っているのか?」「喜んでいるのか?」「褒めているのか?」を判断し、感情も一緒に伝わるように通訳することを心がけます。言葉に感情が乗らないと、ニュアンスがずれて伝わってしまうこともあり、選手に誤解を与える恐れがあるからです。
PM4:00〜 ゲーム形式の練習(後半)
後半戦に突入。再び選手はフィールドへ、通訳士はラインの外から通訳をします。
本番の試合では、大歓声に声がかき消されてしまい、選手に届かないことがあります。また、監督の指示通りに選手がプレイをしていないと、本当に伝わっているのか不安になることもあります。
選手に伝わっていないと感じたときは、監督からの指示がなくても自らの判断で声をかけます。とくに競っている試合では、一瞬の遅れが命取りになる場合もあるので、積極的に指示を出していきます。
また練習中は、監督が「どういうところに着目して、どういう指摘をするのか?」をよく観察しておくことが大切です。普段から意識して取り組んでいると、監督の伝え方や感情の込め方、サッカー観などを理解するのに役立ちます。
PM5:00〜 練習終了
本日の練習は終了。次の日に疲労を残さないように、各自クールダウンに入ります。ウォーミングアップのときと同様、選手に声が届く範囲にいながら、必要に応じて通訳をします。
練習の中で言い残したことや、伝えたいことがちゃんと伝わっているのかを確認しながら、ケガやコンディションの状態などもチェックします。また、練習後は選手同士の通訳も積極的におこないます。チーム内のコミュニケーションを円滑にすることも、通訳者の大切な役割です。
PM7:00〜 帰宅
練習の日は、ほぼ定時に帰ることができます。ただし、遠征やナイターの試合があるときは、もっと遅くなる場合もあります。
また、通訳士の多くが通訳スキルを磨くため、自主的な勉強にも取り組んでいます。サッカー以外の政治・経済に関する本を読んだり、一般の通訳者向けの講座に参加したり、日々語学力の向上に励んでいるのです。
補足
スポーツ通訳士が活躍する場所は、練習や試合中だけではありません。記者会見やインタビュー、テレビ出演、スポンサー契約の交渉など、あらゆる場面で外国人選手の活躍をサポートしています。
また選手から依頼があれば、プライベートな場面で通訳をするときもあります。選手が慣れない土地でも最高のパフォーマンスを発揮できるように、生活全般をサポートすることも大切な役目なのです。
たとえば、買物に付き合ったり、自宅に届いた郵便物の内容を翻訳したり、悩みがあれば相談に乗ったり…共に過ごす時間が増えれば、仲間としての絆も育まれていきます。
スポーツ通訳士の場合、一般の通訳と異なり、長い期間おなじ外国人選手と行動を共にしなければいけません。通訳スキル以上に、”誰からも信頼され、愛される”ような人間性が求められる仕事なのです。
どんなスキルが求められる?
①スポーツに関する専門知識
スポーツが大好きで、特定の競技に関する専門知識と経験を備えていることが大前提です。通訳士には、監督の考えや世界観を正確に捉え、細かいニュアンスまで含んだ的確な言葉で伝える能力が求められます。
ただ語学力があるだけでは、監督が頭の中に描く戦略を理解することは難しいでしょう。当たり前ですが、自分が理解できていないことを他人に伝えることはできません。
四六時中、競技について考え、監督や選手と多くの時間を共有し、対等に語り合えるくらいの知識がなければ務まらない仕事なのです。
②高度な語学力
スポーツ通訳には、素早く簡潔に、そして正確に伝えることができる「語学力」が求められます。
そのためにも、文法をしっかり学んでおく必要があります。勝負をかけた大事な場面で、監督の指示が上手く選手に伝わらず、それが原因で負けてしまったら通訳の存在意義はありません。
これから通訳士を目指される方は、正しい文法を理解して表現の幅を広げる努力をしましょう。
③演技力・共感力
スポーツ通訳には、「演じる力」「共感する力」が求められます。この能力が欠けていると、こちらが本気で伝えても、選手に冗談のように取られてしまい上手く伝わらないことがあります。
たとえば、監督がチームの選手を力強く励ます場面で、通訳者の声が弱々しかったら選手の気持ちを奮い立たせることはできません。また勝利インタビューで、選手が自信満々に抱負を語っているにも関わらず、通訳者が自信なさげに答えていたらどうでしょう。観衆には、まったく気持ちが伝わらないでしょう。
通訳の世界では、その人になりきって訳すことを”憑依型”通訳といいます。通訳士には、言葉だけでなく話し手の感情や心まで伝える能力が求められるのです。
現状と将来性
プロスポーツ
サッカーの場合、選手や監督にブラジル人が多いため、通訳もポルトガル語の需要が圧倒的に高いです。ほかには、韓国語・英語・フランス語・ドイツ語などの通訳士が活躍しています。
野球であれば、約半数がアメリカ出身で、続いてドミニカ・ベネズエラ・メキシコといった中南米系、韓国・中国といったアジア系の言語を話せる通訳士が活躍しています。
ただし、サッカーや野球のような人気スポーツは、志望者が多いため、そのぶん倍率もとても高いです。特に英語は、すでに現役で稼働している通訳士で溢れているのが現状。
たとえばサッカーであれば、セルビア・クロアチア・モンテネグロなど、野球であれば中南米系といった希少言語に狙いを定めてアプローチしてみるのも1つでしょう。
また、海外で活躍を目指す日本人選手も増えています。2013年には、メジャーリーグにおいて通訳士のベンチ入りも認められるようになりました。国内のみならず、海外にも目を向けて働き先を探してみれば、さらにキャリアの幅は広がるでしょう。
アマチュアスポーツ
2016年に開催された「リオデジャネイロ五輪」では、日本の大学生が多数、通訳ボランティアとして参加しました。また、2020年に開催される「東京オリンピック」では、通訳も含めおよそ8万人ものボランティアを募集しています。
世界的にも注目度の高いスポーツの祭典オリンピックで、通訳として活躍できるのは貴重な経験になるでしょう。しかし、仕事として報酬を得ることができないボランティアの立場では、残念ながら正式なスポーツ通訳士とはいえません。
もちろん、スポーツ通訳士の仕事一本で生計を立てている人もいますが、まだまだ少数なのが現状。これからさらに、通訳士の経済的・社会的な地位向上を期待したいところです。
年収・給料はどれくらい?
選手の通訳を担当するのは、通常はクラブ(チーム)に所属するスタッフ通訳になります。この場合、通訳士の年収はクラブによっても大きく異なります。
一方、監督や一流選手は、自らが通訳士に依頼をして個人契約するケースが多いです。この場合、プロ契約なので年棒制です。交渉次第で金額も変わります。
個人契約の場合、有名な監督や選手であるほど、通訳士の年収も高くなる傾向があります。条件にもよりますが、平均年収800〜1,000万程度です。
参考までに、メジャーリーグ(ニューヨーク・ヤンキース)で活躍する田中将大選手の専属通訳士・堀江慎吾さんの年収は、85,000ドル(約884万円)といわれています。ちなみに、堀江さんは公募で選ばれたそうです。
ただし、プロ契約の場合、契約が切れたら次の仕事先をまた自分で探さなければいけません。明日どうなるかもわからないような不安定な職業ですが、それはプロの舞台で戦う選手や監督も同じ。
サラリーマン的な安定志向をもった人よりも、自分の強みを活かして、自らの力で人生を切り拓いていくタイプの人に向いている働き方だといえるでしょう。
スポーツ通訳士になるには?
スポーツ通訳士になるには、大きく3つの方法があります。
①スポーツ留学をして現地でコネクションを作る
スポーツ通訳士になりたいなら、国内のスクールなどに通うよりも、大好きな専門のスポーツで留学することをおすすめします。
国内、海外問わず通訳をするなら、語学力を磨くだけでは不十分です。たとえば、サッカー用語の「マノン」(後ろから相手が来ているぞ、ボールを奪われるな!)。これをブラジル人選手に言ったところで、まったく意味が伝わらないでしょう。正しくは「ラドロン!」(ポルトガル語で”泥棒”の意味)、または「オーメ!」(ポルトガル語で”人”の意味)と訳さななければいけません。
これは、ほんの一例。現地でスポーツや文化に慣れ親しんだ経験があるからこそ、出てくる言葉があります。一度、日本を離れて海外生活を経験したからこそ、異国の地で戦う選手の気持ちが理解できます。
海外にいけば、日本人留学生を対象としたスポーツ通訳の仕事もたくさんあります。留学経験のない方は、一度トライしてみてはいかがでしょうか。
②通訳派遣会社に登録する
オリンピックやマラソンなど、単発のスポーツイベントの場合、派遣会社を通してフリーランスの通訳者を手配するのが一般的です。この場合、ほかの通訳の仕事も並行してこなしながら、スケジュールが合ったときだけ仕事を受ける形になります。
さまざまな業界を知れるメリットがある一方、競技の専門的な部分には携われないデメリットがあります。専属で働けるクラブが見つからない間、スキルや経験を積むためと割り切って働くぶんには良いでしょう。
③サッカークラブや球団サイトから応募する
プロ野球、Jリーグ、Bリーグ(バスケットボール)のように外国人選手が所属しているクラブでは、チーム側が通訳者を募集・採用しています。特にオフシーズンに募集の告知を出しているケースが多いので、マメにホームページなどをチェックしてみてください。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、スポーツの現場でアスリート達をサポートする「スポーツ通訳士」の仕事について紹介しました。
どんなに語学力があっても、活躍する機会にはなかなか恵まれないというのが現実です。
努力だけでなく、運を引き寄せる力も必要。運を引き寄せるためには、ひとつひとつの出会いを大切にすること。そうすれば、どんな形であれ必ず道はひらけてきます。
普段から人間関係を大切にできる人のところに、素敵なチャンスは訪れるものです。
千里の道も一歩から。チャンスがやってきたときに、確実に掴むことができるようにコツコツと力を蓄えておきましょう。
ほかにも通訳の仕事には、
といった働き方があります。興味のある方は、参考にしてみてください。